最初に覚醒したのはのほうで、一瞬吃驚した表情をした後すぐ表情を戻して、
一般的には害のない表情、ただし彼と親しいに人間にとっては脅威の笑顔を浮かべた。
「何してるのこんなところで」
目が笑っていない。射抜くような目線で、は心臓を貫かれたような錯覚を覚える。
(こうなると手に負えないんだよなぁ)
物腰柔らかに近くまで歩いてくるを呆然と見つめ、あと数歩で手の届く距離まで来ては歩みを止めた。
「確か今日はケネスと一緒に船の修理だったと思うんだけど」
「えっと、気分転換?でいつの間にかこんなところに」
「一人でこの洞窟に入るつもりだったんだ?」
「いやだから別に洞窟に入りたいからここにきたわけじゃないんだってば」
にこり。相変わらず笑みは崩されることなく、の言い分に耳を貸すそぶりもなく。
昨晩あれだけ駄々をこねていればそりゃあ信用もなくすだろうな、と心の中でため息をつきながら昨日の自分を呪いたくなる。
これは何を言っても説得力がない。状況が状況だけに。
さて、どうしたものかと目の前で不機嫌なオーラを醸すから目を反らした。
こうなったにはめっぽう弱いだった。

こんな状況でも今、自分に出来ることってなんだろうと先程から考えていた事が頭を掠める。
さわさわと風が二人の間を通り抜けていく。
何故だか動悸が止まらない。静けさの中でドキドキと無駄に心臓の音が響いていた。
次にが何を言いたいのかは大体予想がつく。
「この洞窟はが一人で入るには危険だってわかってる?」
だって何もお前が憎くてあんな事言ったわけじゃないんだぞ』
先程のケネスの言葉を思いだしていた。
皆が戦えない自分の身を案じてくれているということは否応無しに理解している。
だってその一人で、だからこそ軽率な行動を諫めているのだろう。それは有り難いことだ。
故意ではないとはいえ、仕事をサボって物思いに耽っていたのは事実だからここは素直に謝るべきだろう。
そうするべきなのに、口に出た言葉は全く正反対の言葉だった。まるで何かに操られているかのように。
かちり、と何かが外れる音がする。

「わかってるよ。だけど…」

心の奥に詰まっていたものが、突然意思を持ったかのように一気に押し寄せていく感じ―――
動き出すぜ』 誰かが言った気がした。
「良く考えたんだけど…」
「何?」
「私も戦うよ」
だからそんなに過保護にしなくてもいいよ、と暗に匂わせる。
がそう告げた途端眼差しが更に鋭くなったの瞳をしっかりと見据え、一歩踏み出した。
「私さ、今まで達に守って貰ってここまで来たじゃない。
の力になりたいって思ってここまでついて来たけど、
結局は迷惑ばかりかけて、尚かつ足手まといになってる気がする」
「それって最近がずっと考えていたことだろ?」
「うん」
流石鋭い、が何かに悩み、言動がおかしくなっていたこともお見通しだったのだ。
ははぁ、と大きなため息をついた。
「駄目」
「は、なんで?!」
に何が出来るっていうの?戦うのがどういうことかわかってる?」
の言い分をバッサリと切り捨てた。
そして冷静に、的確なことを言う。それはもっともな意見だとにはわかっている。
「戦うってことは相手の命を奪うこと。それはモンスターの時もあれば俺達と同じ人間のときもある。
誰かの命を奪うのには覚悟がいる。
命を奪うってことは相手の今までの人生、これからの人生をこの手で奪ってしまうんだ。
それだけの重い覚悟をは出来るの?」
納得のいかないをそっと諭すの言葉は、どこか宙に浮いたような、 も自分自身に戒めているように聞こえた。
蒼い瞳がゆらり、と揺れる。規則的に響いた波の音も風の音もいつの間にか聞こえなくなっていた。
彼が泣きそうに見えるのは気のせいだろうか。
「私、」
覚悟、は出来ているつもりだった。
だってそのことを考えなかったわけじゃない。悩んで、恐ろしいと思った。
だけど今目の前の少年の表情を見ていて、それは中途半端なものだったのだという気がしてくる。
それと当時に、尚更このままではいけない、今まで感じていたこと、
それでも戦う達の姿を見ていたら、恐ろしいだの覚悟だのそんなのいいわけに過ぎなくて、
彼らばかりに重荷を背負わせてその後ろでぬくぬくと自分の手を汚すことなく守られている自分は、逃げているのだと悟った。
結局は誰かがやらなければならないことで、やらなければこちらがやられること。
自分は怖い、と人任せにして、戦う術を持たないと見ないフリをして、そうして結局―――

「大体戦うっていったってどうやって?武器は扱えるの?」

が武器使えるところなんて見たことがないけど。と問われれば、言葉に詰まる。
自身自分が何か武器を扱ってみた記憶がない。
ましてや包丁もまともに使えない。それでも最近は幾分かましになってきた
気もするが、武器が包丁です、なんて聞いたことがないし自分がその前例になるのも気が引けた。
「…紋章、実は街を出る前に宿したんだ!」
ぱ!と一応隠すつもりで布を巻いてある方の腕を見せるが、特に驚いた様子もなかったので既にバレていたらしい。
なりの覚悟のつもりで宿した紋章だった。
それを知っていたということはが何を悩んでいるのかさえ、お見通しだったのか。
「紋章だって宿す位だったら誰にでも出来る、使えなければ意味がないよ」
「……」
確かにその通りだ。宿してから何度か試してみたのだが、には紋章の才能がないらしい。
何度やってもうんともすんとも行かず、宿してもらった紋章屋の店主にも幾度となく相談に行き「才能なし」
とのお墨付きを頂戴した。もちろんこの事実をに伝える気はさらさら無い。
「練習して使えるようになる。武器だって何か…」
「紋章も使い物にならない、武器もない、丸腰でここにきたの?
戦う、っていう前に自分の力量をはかれよ。そんなの決意でもなんでもない、ただの無謀な行為だよ」
「確かに今の私の行動は軽率だったって思うし、反省はするよ。の言ってることは最もだと思う、
だから謝る、ごめんなさい。
だけど、戦いたいって気持ちは譲れないよ!
今はまだ何にも戦う術がないけれど、だからってその状況に甘んじるのは嫌だ!」
突然声を荒げたを前にして表情の消えたの顔を確認し、
まずい、と思いながらも一度飛び出してしまった感情を抑えることができなかった。
沸々と今までにない感情が止め処なく溢れてくる。心臓が破裂しそうな、感情の逆流。
「私だってもう守られてるばかりじゃ嫌だよ。私だって皆と同じ位置に立ちたい。
戦えないからって皆の背中を見てるだけで、傷ついた皆の背中を見てるだけなんて嫌だ。
一人だけ安全な所にいて、皆だけに苦しい思いをさせて、
そうして何もできないまま、大切な人達を失うのはもう嫌だよ!」

誰かの記憶が流れてきた。
それは重くて切実で悲痛な感情だった。
誰かの後ろ姿、が脳裏に焼き付く。その後ろ姿は何故か――
その記憶は一瞬だけだが、フラッシュを焚いたように眩しく、そして心に刻まれ痛みだけを残して消えていった。
誰かが思い出してはいけない、と告げ、それ以上進むことが出来ない。
胸が、締め付けられるように痛い。限界が近いのだ、と訳もなく思った。

「……?」
苦しい、だけどどうすることもできないもどかしさ。これは自分ではない、誰かの
「私も戦う。もう決めた事。違う、それは決められた運命。
私も戦うよ。だから、お願いだから―――」
記憶が混乱する。まるで、何かに取り憑かれたように、自分が自分ではない気がした。

が困惑した表情での方へ一歩踏み出した。
逃げるようにも一歩下がって彼の伸ばした手から逃れるように。
一番困惑しているのは自身だ。

これは誰の感情?
の温かい手が、そっとの頬に触れる。
その時初めて自分が泣いているのだ、と気付いて吃驚したけれど、
気付いた途端にそれは次から次へと溢れ出て、
流れる度にパラパラと今の自身を形成してきた外側の壁が剥がれ落ちる気がした。
涙はさらにその内側の、今までどう足掻いても触れることすら出来なかった深い、深い所から溢れてきて、
そこは底なしのような深い湖のような所だった。きっと一度落ちてしまったら這い上がれない。
底を覗くと何処までも暗い、暗い闇のようで恐ろしい、けれど同時に狂おしい程にその闇を求めている自分。
(嗚呼どうして…)
認めた途端に苦しくなって、このまま気が狂ってしまいそうで、だから、必死に彼の手に縋りついた。

「私を置いていかないで」

その瞬間、が息を止めたことには気付かなかった。











programma3 deriva 5 - 漂流 -












「なあお前らなんか喧嘩でもしたわけ?」

その日も今までと変わりなく、質素な無人島での夕食を皆で済ませたあと、そっとタルに耳打ちされた。
にしてみれば他の皆には先程のとの一件を周りに気付かれないように、
と普段通りにしていたつもりだが、周りにはバレバレだったらしい。
あのお気楽脳天気なネコボルトはどうだかわからないが、
ケネスも気付いているのか心配そうに二人の方を見ているのが伺えた。
「何もないけど?」
今は話すつもりはない、余計にややこしくなりそうだから、
取り敢えずしらばっくれてみたが、タルはそんな答えに満足する筈もなく
「そんなわけねーだろうがよ、このおもっくるしい空気が気のせいなわけあるか!」
眉間に皺を寄せて目で訴えられた先を見れば、確かにその一角だけ、重い空気が漂っていて
、南の島と言っても流石に夜は少し冷え込むが、そこはさらに数十度も気温差があるような錯覚さえ抱かせる。
薪を囲んでいるのに尚寒いと感じるのは気のせいではない。毛皮のネコボルトが羨ましいと思う瞬間だ。
そして原因の一角に居るのは、先程から言葉少なにピリピリとした空気を纏って気温をグッと下げている張本人―― である。
そのはずっとの方を見ようとしない。これでは誰から見たって、誰と何があったのか丸分かりだ。
は平静を装っていたのにこれじゃあ意味ないわ、とこっそりため息をついた。
どうしたものか。
のことだからこのままギクシャクしたままだとパーティの関係が気まずくなってしまうと理解しているだろうから
ずっとこの状態でいるわけがないだろうけど、
元の状態に戻ってもきっとの言い分は認められることはないのだろうな、と思う。
寒いんだよ!と身震いするタルを無視して、揺れる炎を見つめ続けた。









「落ち着いた?」

どれ位そうして居ただろう、きっと時間にすれば数分に満たなかったのかもしれないけれど、
その間を慰めるでもなく、ただ、彼女の横に居た。
今までの気持ちの高ぶりは一体なんだったのだろうと思うほど気分が落ち着いてきた頃には涙も引いていて、
同時にあの深い闇の気配も遠のいていた。
「取り乱しちゃってごめんね。」
涙の乾いた瞳で相手を見上げれば、さっきまでの厳しい表情はなく、純粋にを気遣う眼差しだった。
「時々なんか記憶が戻りそうになるんだけど、ほら今みたいに。だからはあんまり気にしないで。」
これは全然のせいじゃない。記憶が混乱すると時々気が狂いそうなほど苦しくなるときが度々あって、
に見られたのは今回が初めてだけれど、よりにもよって今回は今までにないくらい強烈だったのがついてなかった。
その時はそのことばかりに気を取られていて、の表情が一瞬曇ったことに気付くことが出来なかった。
それはほんの一瞬だったので少女が少年の方を向いた時にはすっかりいつもの表情に戻っていた。
ぽんぽん、との頭を叩いて、真面目な顔で言った。

「さっきの話だけど、俺の考えは変わらないから。
は今まで通り戦いには参加させない」
「え、なんで?!!」
「さっき言っただろ、何も戦う術がないのにどうやって戦うっていうんだ。
悪いけどに前線に出られても、危なっかしくて逆に迷惑だよ」
言い辛い事をはっきりと言われた。そして真実だ。
戦えない人間が戦いの場に出れるほど甘くはない、それは命がけなのだから。
「でも…」
言われた事がもっともだからには反論する術が思いつかなかった。
には今までみたいに戦いから帰ってきた時に労ってくれるだけでいいんだ。
それが俺達の一番望んでいること」
それじゃ何も変わらない。それじゃ駄目なの、と言おうにも、有無を言わせぬ表情で見つめる。

「頼むから。このままでいて」
……」
まだ、何かを言いたそうに口を開いて、閉じた はそのままの返事を聞くことなく踵を返した。
は暫くその後ろ姿が見えなくなってもその場に立ち尽くしていた。

の分からず屋」
そう呟いてから、違う、と考え直す。分かっていないのは自分のほうだったのかも。
そんな事を急に言いだしても、どんな返事が返ってくるか分かり切っていたことなのに。今言うべきことではなかった。
戦うための努力を少しでもして、その上で認めてもらうべきだったのに、
何も努力をせずにそんなことを言っても、認めて貰えるはずなかったのに。
ただでさえに対して過保護すぎる所があるのは誰もが知っていることなのだから。
「失敗した……」
大失敗だ。もう少し時期をみるべきだった。
だけど言わずにはいられない、焦らなければいけない焦燥感のようなものを止めることができなかったのだ。

何時の間にか日が陰ってきている。そろそろタルやチープー達も仕それぞれの仕事を終えて戻って来る頃だろう。
そして夕食になったらまたと顔を合わせなければならないことが憂鬱になった。
彼の言っていることはもっともだと理解していても、心では納得がいかなくて、そして自分の無力さを改めて知ったことで
苛々した。こんな気持ちではと顔を合わせたくないし、周りの皆にも会いたくない。
このままフラフラして頭を冷やしたいけれど、この小さな無人島でいつまで経ってもが戻ってこないと知ったら、
きっと皆にいらぬ心配をかけてしまうことは目に見えてわかっていたので諦めてのろのろ、と歩き出す。
こんなに体が重いと感じたことがあっただろうか。
段々と涼しさを帯びてきた風を受けながら少しでもこの頭に上った血が冷めるよう祈りながら大きなため息を零した。







「どうしたんだよため息なんてついて」

タルが目敏く聞いてくる。心配してくれるのも、彼らに迷惑をかけてしまっているのもわかる。
だけど今は説明する気にもならなかった。
「なんでもないよ」
まだ心の中が落ち着かない、これからどうするべきなのかも思いつかない。
ただ、目の前の炎のように何かが燻っているのを感じる。
『このままで』と言ったの目を思いだした。彼自身も分かっている、『今のまま』ではいられないことを。
世界は常に変化を続けていて、そして自分達の周りもそれがもう避けられないことに、
それに気付きながらも、彼自身も言わずにはいられなかった。
「なんでもない…」
自分自身にも言い聞かせる。
今度はもうこれ以上追求する事を諦めたのか、何も言ってこなかった。
そんな心遣いに感謝しながらゆっくりと瞳を閉じた。





                                                           2007.9.13
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